待望 | |
それまで他用で未着手だった進捗が2000年の9月頃から本格的に動き出す。 その前にご本人さんと直接ご面談と相成った。それまでオンライン上のお付き合いだったのだがやっと顔を付き合わせてのやりとりとなる。人と人とのおつきあいなのだからこれは喜ばしいし何かと話もし易い。初顔合わせは、中橋さんが帰省中の8月4日の事です。この時は実は曲の打ち合わせ的なお話はあまり行っていません。お互いを理解し合うのが目的だったかもしれません。結果としてはとても有意義なひとときでした。これ以降から物事は加速しつつ進捗します。 実はその年の内に作曲そのものに着手はされていません。しかし中橋さんとのやりとりの多くは打楽器の編成に関する事が多くなります。打楽器パートも含めて具体的な人数の作曲上の想定もここいらから煮詰め始めていました。 その後2回目の打ち合わせを明けて2001年の1月4日にお会いして行いました。ここでは本当の意味での打ち合わせです。各パートの人数やその演奏レヴェル、打楽器の所有状況等を申し上げた上でどのくらいのことをやれるか一つ一つ決めていきました。作曲家の構想を具体化させる”手段”を現実の物として固めていくわけです。 この辺から頭の中だけに煮詰められていた音楽がいよいよ現実の物として固められ始まっていたような気がします。 その後の2月中旬頃のMAILで「具体的に書き始めている」旨のお話が送られてきています。僕の方もこの頃から新曲に対するあれやこれや想像が頭を離れなくなり始めました。 時期が進むにつれ来る話は眼に見えて具体性を増していきます。使う楽器とその具体的な用途。金管のペダルトーンを練習で備えておいた方が良い。曲の出だしが意表を突くものである予告。(実際そうだった!) 3月も終わり近くになると前半は完全な完成をみており、後半部は骨組みは出来ているという状況。ここから解るとおり彼の頭の中で作品は時間をかけて練り上げられ、出来上がった物が一気に紙の上に書き上げられていっているのです。(これじゃまるでモーツァルトみたいだ) この時点で曲の正式タイトルが届く。 【「遮光の反映 ― 吹奏楽のために」】 (欧文名/Reflections from Shaded Lights for Symphonic band) この時点で3月中の完成は無理であることがはっきりする。 その後4月3日に再度帰省中の中橋さんとお会いする。ここでいよいよ前述の半分完成した総譜を手にすることになる。ワクワク・・・・・・ |