作曲へのいきさつ | |
僕が電脳指揮者のホームページを出し手間もない1999年の8月末頃の事です。 あちこちの吹奏楽関連のHPを見回っていた中で、現代音楽の観点から吹奏楽を扱っている興味深いサイトにはまりました。実に興味深い内容で、とりわけ吹奏楽を時流で捉えず冷静に見つめているところが気に入りました。 僕は早速ここの管理人さんにリンクの申し出をし、掲示板なんかにも書き込みをするうちに直MAILでのやりとりをするようになりました。そんなやりとりの中で作曲科の学生さんでもある管理人の中橋さんは、現在の吹奏楽が自分達の楽しみだけの範疇から抜け出せきれないでいる現況を嘆いておりました。この点に関しては僕全く同感で互いに共感し得るものが強く感じ取られるに至ったのです。 |
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【僕が思考していたこと・・】 ここのところの吹奏楽界は近代物の管弦楽曲からの編曲演奏が全盛です。(ハチャトゥリアンやアーノルド等) またオリジナル曲もその90%以上は19世紀の作曲家達が使っていた手法を用いている物で真新しいものではありません。しかし私達は”現代”に生きています。生活の中ではパソコンや平面テレビ、最新式の家電機器等の使用で”現代”の技術を享受し潤っています。しかし何故音楽はこうも保守的なのでしょう? 話は変わりますが、誰しも知っているベートーヴェンの第5交響曲は作曲当時としては超の字が付くような前衛音楽と言って差し支えありません。しかし好きか嫌いかは別として当時の好楽家はこの音楽を受け容れました。そんな200年近い昔の人達に現代の私達が劣って良いのでしょうか?”現代”の音楽がその後残るほどの価値があるか否かを同時代の我々だけの好みの判断だけで決めつけて良いのでしょうか? 同時代の我々に出来ることは、同時代の音楽を世に送り出すことではないでしょうか? 僕は抱き続けてきたそんな思いからいずれは”現代”の音楽に着手する機会をずっと考えていたのです。 |
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こんな考えをする奴がいたことに中橋さんは大きく喜び感心を抱くに至ったようでした。 その後、具体的にどの様な新曲が希望であるかという質問を受けるようになり、そのうち「1曲書いて差し上げようか考えている」というMAILをもらうことに至ったのです。 ところでこれは最近になって知ることになったのですが、この時のやりとりの中に作曲着手に至るきっかけがあったそうなのです。この時はたしか・・・・ 中橋さん>「どのような曲調で書きましょうか?リード風?スウェアリンジェン風?」 僕>「誰それ風のみたいななんて冗談じゃない!”貴方”のオリジナルな発想の音楽がいい。」 中橋さん>「それだと間違いなく、いわゆる”現代音楽”になりますよ」 僕>「それが貴方の”本音”の音楽ならばそれでいい。リード風の音楽がやりたいならリードの曲を演奏します」 中橋さん>「よく解りました。僕の好きに自由に考えさせてもらいます。」 僕>「是非お願いします。但し、編成や技術的な、要するに現実に関わる希望だけはさせて下さい。 アマチュアに特殊奏法は現実的に無理ですので」 中橋さん>「それはたしかにそうです。遠慮無くおっしゃって下さい。今後打ち合わせもしましょう」 *********************************************************************** 中橋さんがそれまでに何度か受けた作曲依頼を断っていたそうです。(事実当初のやりとりの中で僕が「曲作らないのですか?」とぼかした言い方の問いに対しきちんと断るニュアンスの返答をされたことがあります。) その理由として、「何でもいいから書いて欲しい」。物珍しで現代曲を取り扱う先が多い。等々のよくありそうな現状が彼を慎重にさせたようなのでした。しかし、僕は前述の通りある種の使命感のような思いがあった点がどうも先方を刺激したようで、このやりとりが作曲に着手するきっかけになったと最近本人さんから聞かされました。 本職(少なくとも彼は音楽教師に落ち着くような才能の方ではないと確信しているので)の目で吹奏楽を考えている若い作曲家と、”今”の音楽に思いを抱くアマチュア指揮者はこのようないきさつで、インターネットを通じてありがたいお付き合いをさせてもらう運びとなったのです。 |